清らかな空気と木々に包まれた北比良は、もともと別荘地として人気の場所。市村さんご夫婦の家もそんな自然豊かな北比良の一角にあります。家のなかに入ると、おふたりが作った作品がそこかしこに。木のナチュラルな雰囲気に現代アートが調和した面白い空間です。
そして、おふたり以上に存在感たっぷりなのが犬のエマちゃん。ここに来るまでは保護犬だったそうですが、今ではすっかり家族の一員です。薪ストーブの前でくつろぐエマちゃんの姿はなんて絵になることでしょう!
お話はふたりの馴れ初めから、現在の活動や暮らしまで。途中、初奈(はな)さんに綿から糸を紡ぐ体験もさせてもらい、インタビューとワークショップのコラボのような贅沢な時間になりました。
埼玉と京都、遠く離れたふたりを結びつけたもの
—— そもそも、おふたりが出会われたきっかけは?
初奈:最初に出会ったのは2012年かな。私は埼玉が実家で、関東の美大に通っていました。その時たまたま受けていた授業の先生が京都でも教えていて、学生何人かと一緒に京都のギャラリーやイベントスペースを数日かけて回ったんです。そのうちの1カ所の会場に彼がいて、参加者と話していたら「知り合いなの?」と声をかけられたのがきっかけですね。
—— へえ。そのときの初奈さんの第一印象はどうだったんですか?
恵介:前髪パッツンで地味な感じでした。でも近くで喋ると「かわいいなぁ」って(笑)。
—— 逆に初奈さんから見た恵介さんは?
初奈:そのときは特に印象深かったわけではないんですけど、その後、六本木で開催される大きなアートイベントに彼も出展すると聞いて、美大生の私からすると単純に「スゴイ!」ってなって。ちょうど人手も必要だったらしく、搬入や搬出のお手伝いを2日間くらいしているうちに「なんかいい人だな」って思うようになりました。
恵介:当時、僕は京都を拠点に数人のメンバーで『Antenna』というアーティスト活動を行っていました。その活動の一つに「六本木アートナイト2012」への出展もあったんです。最初は展示物の搬入・搬出も自分たちでやる予定だったのが、急遽スタッフを探さないといけなくなって、初奈など美大生に応援をお願いすることになったんですよ。それがものすごいハードで。オールナイトのイベントだから、搬入は夜9時にミッドタウン集合。そこから翌朝8時までに搬入を終わらせて、オープニングセレモニーに出席して、また展示やイベントがあって、というほぼ徹夜状態。搬出まで含めると3晩くらい仮眠だけだったのかな。そういうしんどい時間を一緒に過ごしちゃったんで。
—— なるほど。それは仲間意識がぐんと強くなりますよね。
初奈:そうなんですよ。そこから頻繁に連絡をとるようになって、5年くらい遠距離恋愛をしていました。私は美大でテキスタイルの織りを専攻していたんですけど、父も油絵描き、母も油絵出身という家族で育ったんですね。そうしたら彼もお父さんが美術大学の染色の教授で、お母さんもステンドグラスやドライフラワーの創作をされているご一家。同じような環境で育ってきた人ってなかなかいないので、そういう共通点も良かったのかもしれない。
喜びと哀しみに翻弄された一年
—— 出会ったのは京都、親交を深めたのは東京、そこから北比良へ移ったのはどういう経緯だったんですか?
恵介:僕は京都をメインに活動していましたが、住んでいたのは北比良なんです。もっと遡っていうと生まれは横浜で、小学校5年生から京都で育ちました。で、京都市立芸術大学の彫刻専攻を出て、飛騨高山で木工を学び、帰ってきたら実家が北比良になっていた。突然母から「家買いました」っていうメールがきて、ログハウスに引っ越していたんですよ(笑)。
僕もその後ログハウスの実家にいたんですけど、初奈と結婚する1年ほど前にちょうどこの家が売りに出ていて、母や知り合いの方と内覧に行ったら盛り上がってしまって、あれよあれよと買うことに。
—— えっ?!結婚を決める前に家を買われたんですか?
恵介:まだ付き合っている段階でしたね。でももし結婚して一緒に住むなら、街中よりこういう自然がいっぱいある環境にいてほしいなと思って。
—— 初奈さんはどう思われたんですか?
初奈:彼と過ごすなかで自然と結婚する意識は生まれていましたけど、そこにどんな暮らしがあるかは漠然としていました。ただ結婚を考えた時に、私より彼が先に社会で過ごしている10年を思って、彼が暮らす環境に私が入っていくのが一番良いだろうと。そんなことをぼんやり思っていたら、急に家が決まってトントン進んだ感じです。
それに私は幼少期に二度、県をまたぐ引っ越しを経験しているので、ずっとどこか根なし草のように感じていました。埼玉から滋賀への遠い移動距離についても、もともと大学への通学が片道3時間弱かかっていたり、課外活動で県をまたいで行ったり、遠距離恋愛をしたりで、麻痺していて(笑)。関西への移住も「まぁ、なんとかなるか」と思えたし、北比良の湖と山に囲まれた四季を楽しめる環境も背中を押してくれたと思いますね。
—— 関東から関西への移住もあまり抵抗なく?
初奈:そうですね。彼は10歳まで横浜で育っているので私との会話はそれほど関西弁じゃないし、彼のご両親も長野や横浜出身で標準語だから、家の中には違和感なく入り込めました。カルチャーショックだったのは北比良の冬の寒さ。2月に引っ越して、ちょうど大雪の年だったから閉ざされた感はありましたね。しかもその年に母を亡くしていて…
恵介:2017年の7月に埼玉の神社で親族のみのささやかな結婚式をしたんです。その少し前からお母さんの具合が悪くなって。
初奈:胆管ガンでした。式まではと母も頑張ってくれたんだと思うんです。食事も全然取れなくなっていたのに、式当日の食事は「美味しい」って食べてくれた。でも8月には暑さで体力が落ちてしまって、私は看病のために式後1ヶ月で実家に帰り、1ヶ月半ほどして最期を看取りました。
—— そうだったんですか…。激動の一年ですね。
初奈:移住してきて右も左もわからないまますべての環境が変わり、探り探りのなか新しい暮らしが始まって、寒さを越え、やっと春が来て、ささやかな結婚式も終えて「さぁいろいろ頑張らないとー!」で動き始めた矢先に母の闘病で、そこに全力を注ぎました。そして母を見送って北比良に帰ってきて、「よし、また頑張らないと!」と踏ん張ったら、今度は父が体調をくずして。2回目にこっちに帰ってきたときはほんとに抜け殻になってしまいました。
エマを撫でながら、ひたすら薪ストーブの火を眺め・・・毎日そんな感じ。まさにアニマルセラピーですね。
—— エマちゃんに心を癒やされたんですね。もともと犬はお好きだったんですか?
初奈:私は犬を飼うのが初めてだったから、最初はどう扱ったらいいんだろうって戸惑いました。エマにやきもちを焼いたこともあります(笑)。子どもが産まれて奥さんを取られたように感じる旦那さんの気分ってこんな感じかなって(笑)。でも彼は犬と一緒に兄弟のように育っているので、ずっと犬を飼いたかったみたいです。
恵介:時々ペットの里親を募集しているサイトをチェックして、見つけたのがエマだったんですよ。エマはワイマラナーというドイツの大型犬で、この犬種を撮影している写真家がいるんですけど、僕の父親がその写真家が好きでカレンダーを持っていたんです。初奈もエマの写真を見て「この子かわいいじゃん!」って気に入ったので、これは運命だぞと。すぐに保護活動者に連絡して引き取りに行きました。
自分の作品を作るより、アートの楽しさを伝える人に
—— 現在はおふたりともどんな活動をされているんですか?
恵介:僕は大学の非常勤講師と、家具製作などの木工の仕事、シガーシガという地域グループでのシェアファームやマルシェの活動、それと初奈と一緒に「蓬莱の家」という障がい者の共同作業所でアートディレクションに関わっています。
初奈:いま作業所のアートワークに注目が集まっていますよね。私は大学で織りを専攻していましたが、自分の作品を発表することより、ものづくりの過程への興味の方が強くなってきました。だから現在は綿の種をまいて育て、収穫して、糸を紡いで、布を織るという一連の体験を伝えるワークショップなどを開いています。
恵介:そのあたりも共通の認識があるんです。僕も以前は自分たちの作品を作って、展覧会に出展するという活動を行っていました。でも日本はアートのマーケットが狭いので、実は狭い界隈のなかで少数のアーティストと少数の愛好家がぐるぐる回っていることに気づいたんです。そこでだんだんと少数派の人のためにアートをやるってどうなのかなという疑問も湧いてきて。
それよりも現代アートに興味のない大多数の人たちにアートの小さな種をまくほうが価値があるんじゃないかと思って、ワークショップの企画に力を入れ始めたんですよ。「今日、何色の服を着ようかな」とか「このお皿かわいい」とか日常のなかにもアートはある。例えば木製スプーンを作るワークショップだと、普段は無意識に使っている道具なのに、自分で作ってみると道具の成り立ちや食べる行為について一瞬でも考えるきっかけになります。ワークショップを開くごとに、小さな作品がみんなの家に増えていく。地味だけど、展覧会を一つ開催するより多くの人にアートを広められるのかなって。
初奈:そういう想いもあって、去年から自宅の2階で おとなとこどものアトリエ “いろいろ、あのね” という教室を始めました。「上手に絵を描けない」という人は多いんですけど、描きたいものを描いたらいいし、描いたものが正解。そういう苦手意識を払拭して、「いいんだよ」って言ってあげる大人になりたいです。
—— 今後もワークショップなどの予定はありますか?
恵介:去年はコロナ禍であまりできなかったので、今年は親子で参加できるワークショップもできたらいいなと思っています。
初奈:例えば綿から糸を紡ぐような体験は大人も子どもも初めてで、優劣の差がないから面白い。意外と子どものほうが器用だったり、そこでフラットな会話が生まれたり。親子間に介入できるのもアートの力だなと思いますね。
いつか北比良が故郷と呼べる場所になったらいい
—— 北比良という場所での暮らしはどうですか?
初奈:最初は知り合いもいなくてさみしい時期もあったけど、どんどん人脈が広がって居場所ができたという感覚がありますね。実は蓬莱の家でアートディレクションを手伝うことになったのも、私がエマの散歩中に木の実や松ぼっくりを見つけてアクセサリーを作ったり、琵琶湖で拾ったビーチグラスでちょっとした作品を作っていたりしたのを見て、声をかけてくれたのが始まり。おとなとこどものアトリエ “いろいろ、あのね” も、周りの人たちが「やってみたら」と後押ししてくれたから始められた。それに今度は、ねっこ自然農園さんの藁を使わせてもらって、しめ縄のワークショップも開催します。こんなふうに「仲間」と呼べる人たちとのつながりができたのはすごく幸せですね。
恵介:自分たちの強い意志があって北比良に来たわけじゃないけど、ご縁があったのかなと。今はそれを楽しんでいる感じ。畑を借りて芋や綿を育てたり、冬は薪ストーブでこうやって芋を焼いたり、煮物を作ったりできる。初奈とエマはしょっちゅう薪ストーブの前で、同じ格好して寝ているんですよ(笑)。
初奈:薪ストーブが背中を、エマがお腹を暖めてくれる。至福の時間なんです(笑)。
—— これからもずっと北比良に住み続けたいと思いますか?
恵介:それはまだわからないですね。正直に言うと、骨をうずめるまで住むという気持ちはないんですよ。ただ縁あって居られている場所なので、できることはしたい。僕にも初奈にも、故郷と呼べる場所がないから、いつかここが故郷のようになっていければいいのかなと思います。
初奈:流れにあらがわず、受け取ってみる。自然のままに進むって感じだよね。
市村家
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