「生かされていること」に感謝し、次代へ繋ぐ

  • 超専寺
  • 三浦孝明さん・三浦佑樹さん

湖西の自然に魅了されて移住してくる人もいれば、はるか昔からこの地に根を張って生きている人もいる。ここ、超専寺はそのなかでも歴史の生き証人のような存在。建立は鎌倉時代、なんと700年以上も続くお寺さんなのです。

今回ご協力くださったのは、23代目ご住職の孝明さんと、次男の佑樹さん。お話は江戸時代から、昭和、現代まで。お寺のある大物の集落がどんなふうに変わってきたのか、昔を懐かしむように話してくださいました。

そして過疎化が進む集落へのさみしい思いもぽつり。「同じエリアでありながら、昔からある集落と移住者たちの暮らしはまったく別」とご住職が言われたように、移住者が増える一方、過疎化している地域がある現実も見えてきました。

かつては水害や土砂災害に悩まされた土地だった

—–– とても立派なお寺さんですね!歴史はどれくらいあるのでしょうか?

住職:うちのお寺は鎌倉時代に建立され、私で23代目になります。本願寺(浄土真宗本願寺派の本山で京都市下京区にあるお寺)とだいたい同じくらい、700年以上の歴史があります。

—–– そんなに?!まさに旧志賀町の歴史をずっと見てきたといっても過言ではないですね。

住職:このあたりは、江戸時代以前から水害や土砂災害によって悩まされてきたという歴史が伝えられています。大物集落を流れる四ツ子川という川があってね。その川の流れが集落の山側で蛇行しているために、しばしば大雨などで洪水を起こし、集落や田畑に被害をもたらしていました。そこで江戸時代の後期、藩主である宮川豊前守は若狭の国(福井県)から石積みの名人である佐吉という人を呼びよせて、百間堤という大堤を完成させたんです。長さが百間(約180m)だから、百間堤。この工事に費やした年月は5年8ヶ月ともいわれています。

こうした歴史は、地域の子どもは小学校でみんな勉強するんですよ。

それと、集落や個人の対策として、水や土砂が流れてくる山側と道路に面した側には石垣が造られていました。その関係でこのへんは石屋さんも多かったんです。今でも石垣が残っているのはそのためです。その後、もう30年以上前かな。昭和の時代にも区画整備が行われ、水害や土砂災害に悩まされることなく安心して暮らせるようになりました。

人口の増減は、まちの新陳代謝

—–– ご住職の時代から、現在までには周辺の様子も変わりましたか?

住職:そう大きくは変わってないんですけどね。周辺に新しい住宅街ができて、お家がたくさん建ちました。堅田にローズタウンができてからは大物にも人が増えて、長男が小学生くらいの頃は子どもも多かったんです。だけど今はその子どもたちも都会へ出て行って、お年寄りが残っている状態ですね。新陳代謝というのかな。以前たくさん家が建っていた住宅街に空き家が目立つようになったのを見るとさみしく思います。

—–– そうなんですね。ただ、最近は京都や大阪からの移住者も増えているようです。地元の方と移住者の方が交流される機会などはありますか?

住職:うちはあまりないですね。移住してこられても、ある程度の年齢になったら都会に戻られる方も多いですし、何代にも渡ってここに住み着くというのがないですから。一代限りだとなかなか繋がりができていかないのかなと思いますね。

佑樹:以前は地域の運動会があって、そこでは交流があったみたいです。でも運動会がなくなってからは、あまり機会がありません。特に今はコロナ禍でそういったイベントも少なくなりましたからね。

自然の豊かさは今も昔も変わらない

—–– 移住者の方たちにお話を聞くと、山と琵琶湖に近く自然豊かなところに惹かれて引っ越して来られる方が多いようです。地元の方にとっての魅力はどんなところですか?

佑樹:やっぱり自然豊かなところですね。それに尽きます。豊かな自然が残っていて、田舎なわりには京都や大阪の街に近いというのが一番の魅力じゃないでしょうか。あとは正直、不便です(苦笑)。

—–– でも佑樹さんは堅田で接骨院を営んでおられますよね。京都や大阪へ出られなかったのは湖西に思い入れがあるからですか?

佑樹:地元には知り合いも多いので、その人脈を活かせるというのが大きいです。それに堅田まで行けば便利ですしね。

住職:大物にも一時は飲み屋が2~3軒、魚屋も2軒、バイパスが延びるまではコンビニもあったんですけどね。昔のほうが栄えてたんとちがいますか。

電車の駅も昔に比べて遠くなりました。私らの時代は、JR湖西線じゃなくて江若鉄道(かつて大津市の浜大津駅から高島市の近江今津駅までを結んでいた路線)でした。大物の集落からは、江若鉄道の駅のほうが近かったんです。当時はまだ国道もアスファルトじゃなくて土でガタガタの道でしたね。

—–– そういう時代もあったんですね。

子ども時代はクワガタ捕りや魚釣りが日課

—–– ところで先ほど、自然豊かなところが魅力とおっしゃいましたが、お二人とも子ども時代はどんな遊びをされていましたか?

佑樹:僕が子どもの頃はケータイやスマホもまだなかったですし、外で遊ぶことが多かったです。クワガタを捕ったり、鮎を釣ったり、子どもにとっては遊び場がたくさんあっていいですよね。

住職:私が小学生のときもクワガタ捕りが日課でした。そこに大谷川があるでしょ。大谷川の林がクワガタの巣になっていて、毎朝みんな競うようにクワガタを捕りに行ったものです。

それと琵琶湖に行ったらね、ボテジャコ(イチモンジタナゴ、シロヒレタビラ、カネヒラなどコイ科タナゴ亜科の魚たちの総称)が必ず釣れましたわ。今はボテジャコがほとんどいなくなって、代わりにブラックバスやブルーギルなどの外来魚になってしまった。琵琶湖の生態もだいぶん変わりましたね。

湖西でも農家の後継者不足が問題に

—–– 他にも自然環境の変化って見られますか?

住職:大物は、ほとんどの家の敷地に茶畑があったんですよ。でも摘むのが大変になったりして、切られるところも多いですね。今はこの集落でお茶を摘んでいるのは5軒あるかないか。

—–– 茶畑があったのは意外です!田んぼや畑で生計を立てられてきたお家が多いのかなと思っていました。

住職:茶摘みは仕事というより、自宅で飲む用ですな。仕事といえばこのへんは水田です。以前は畑で麦や大豆を作っておられる方もいましたが、今は水田一本でされている農家さんが多いです。それでも若い人は都会へ出られるので、農家の跡継ぎは少なくなっていますね。それが大きな悩みとちがいますかね。

—–– 地元の若い人はここに残らず、都会へ出て行かれる?

住職:生活様式が変わってきているからね。農地は5反(4958㎡)あればいいほうで、少ないですわね。それでは現代の生活を維持できないということでしょう。

佑樹:生計を立てられるほどの農業の規模ではないので、このへんでは仕事といえば公務員か自営業です。大きな企業もありませんから。

—–– 都会に出て行った方がまた戻ってこられるケースはありますか?

佑樹:ほぼないですね。大物の集落はどんどん過疎化しているので、20年、30年後にどうなっているかわかりません。仕事がない地域に若い人が住むのは難しいでしょうから、定年後にまた戻ってきてもらえるような環境づくりをするのがいいんじゃないかなと思っています。

この地域を絶やすことなく未来へ

—–– これからの大物の集落や、湖西エリアに願うことはありますか?

佑樹:やはり定年後でもいいから戻ってきて、この地域を絶やさないようにしてもらえたら。最近では街に住んでいて、レンタルファームを借りてらっしゃる方も多くいますよね。でもここなら土地が広いのでわざわざ借りなくても畑を楽しみ、ゆったりした暮らしができます。空気がおいしいからか、長生きされている方も多いんですよ。定年後のスローライフにはぴったりの場所だと思います。

住職:例えば、門徒さんの若い人が都会へ出られますよね。そうすると親が「報恩講をやるから帰ってきて」と言われるお家があります。報恩講とは、浄土真宗の開祖・親鸞聖人のご命日(11月28日)を中心に行われる仏事です。昔は地域全体のお祭りとしても親しまれていたものでした。だから地域を守るためにはお寺との繋がりも大きいと思いますね。

—–– なるほど。お寺の行事を通じて地域の交流が深まることもありますね。

住職:仏教の教えでは、「人間は生きているのではなく、生かされている存在」です。そして「報恩講」とは、生きていくなかで受けてきたたくさんの“恩”に“報いる”ことに思いを馳せる時間でもあります。こればかりは誰にお願いするものでもありませんが、代から代への繋ぎを少し意識してもらえれば、絶やさずに続いていけるのではないでしょうか。

浄土真宗本願寺派 念佛山 超専寺

滋賀県大津市大物401

  • この記事を書いた人
  •  
  • 文 :
  • 和泉華織
  • 写真 : 山崎純敬
  • 関連キーワード
  •