琵琶湖と暮らしが近づく体験を届けたい。

琵琶湖に、漁師がいる。

滋賀県民でなければ、意外と知らない事実かもしれません。県民であっても、琵琶湖の魚を食べたことがない、「湖魚(こぎょ)」があまり身近でない、という人も多いのでは?

そんな湖魚を獲りながら、琵琶湖に近い暮らしをするために漁師になった人がいます。和邇漁港を拠点に漁師として独立したばかりの、駒井健也さんです。

もともと建築を勉強していた駒井さんが漁師になった理由は、「琵琶湖とつながる暮らしのあり方」に惹かれたから。琵琶湖をフィールドに奮闘する駒井さんがその先に目指すものについて、お話を聞いてきました。

「離れたい」と思っていた滋賀に、ずっといることにした理由

── 滋賀には、これまでずっといらっしゃるんですか?

そうです。滋賀の栗東市出身で、湖南エリアで育ちました。大学と大学院は彦根にいて、湖西に来てから4年目です。でも正直、高校生までは滋賀から早く出たいなと思っていましたね。結局、県外の大学には行けなかったので滋賀の大学に進学したんですけど、「なんで大学も滋賀なんだろう」って自分で思うくらいに(笑)。

── 大学入学後も滋賀を離れることが可能なタイミングがあったと思うのですが、どうして離れなかったのでしょうか。

大学に入学してから、自転車を始めたんですよ。専攻は建築だったのですが、「良いものをつくるためには、すでにある良いものをたくさん見に行け」と言われて、お金をかけなくても多くの建築物や自然を見てまわるために、自転車を使って他県や海外にも行くようになりました。

それまでは滋賀を客観的に見る機会がなかったんですけど、いろいろな場所を見るなかで、「こんなに自転車で走りやすい環境って、滋賀の他にないな」と気づいて。他の場所を見たことで、滋賀の良さに気づき始めました。

あとは、大学がモットーとして「キャンパスは琵琶湖、テキストは人間。」と掲げていて、地域に出て琵琶湖をフィールドにさまざまな人から学ぶことを推奨していたんです。でも僕は琵琶湖から遠い場所で生まれ育ったので、琵琶湖のことを全然知らなくて。

滋賀県は山に囲まれていて、山の資源は琵琶湖に流れていきます。そのなかには建築で用いる木材も含まれるので、建築を学ぶうちに、滋賀の環境変化が分かる琵琶湖にも自然と興味を持つようになったんです。

そこで「琵琶湖のことをもっと知りたいな。いちばん知っているのは誰だろう」という考えに至り、漁師さんへの聞き取り調査を始めました。この調査も、滋賀を好きになるきっかけになりましたね。

── ここで漁師さんとの接点が登場するんですね。

そうです。専攻は建築でしたし、それまでは漁師さんとの接点はありませんでしたから。でも漁師さんへのヒアリングのなかで、建築物をどれだけつくったところで後継者がいないと漁が成り立たないという声を聞いて、建築で解決できることとできないことがあるのだ、と実感しました。

これからは「ハードをつくれば終わり」の時代ではないでしょうから、僕は建築と暮らしを結びつけるような仕事をしていきたいな、と思うようになっていったんです。じゃあどこで「暮らし」をしたいのかと考えたら、「僕は滋賀にいたい」と考えるようになりました。

琵琶湖の近くで暮らす、湖西エリアの魅力

△ 駒井さんが拠点としている和邇港

── 漁師になることは、いつから考えていたのでしょうか?

大学院を卒業する前、就職活動のタイミングです。毎日琵琶湖を眺める仕事がしたいと思ったので、それなら漁師しかないと思いましたね。

大学や大学院での研究を通じて、長いスパンで見たときに、琵琶湖で漁師になることを最終地点にするのではなく、漁師として暮らしを立てた上で建築の分野からまちづくりに関わる可能性を自分なりに見出せたことも、決断の理由として大きかったです。

── 就職活動のタイミングで漁師になりたいと思ったとのことですが、漁師として独立するまでに、どんな道のりがあったのでしょうか。

漁師になるとき、いちばん重要なのが親方探しなんです。琵琶湖のあちこちに行ったんですけれど、新規参入できる場所がなかなか見つからなくて。

ちょうど僕が就職先を探していたころに、滋賀県が漁業の新規参入を募る研修制度を始めて窓口ができたことで、ようやく受け入れてくれる漁師さんの存在が見えてきました。僕もその制度を利用して、1人前に独立できるまでの3年間、親方に弟子入りして修行させていただいたんです。

── いきなり漁師の世界に飛び込んでみて、大変なことはありませんでしたか?

そうですね、これまで関わりがないエリアに来たので、知り合いがいないなかでゼロからのスタートでした。でも客観的に見たらハードだったかもしれないですけれど、もともと毎日琵琶湖を眺めたくて漁師の道を選んだので、きついとは感じませんでしたね。むしろ、今までは眺めるだけだった琵琶湖を毎日全身で感じられるんですから、その点はもう最高です。

── 初めて住んでみたこの湖西エリアについては、どんな印象を持ちましたか?

特に、琵琶湖と暮らしが近い点が気に入っています。琵琶湖と畑と家がこれだけ近い距離にあるのは、海の近くだったらなかなか実現できません。それに、僕が生まれ育った湖東だと琵琶湖から離れているので、琵琶湖とのつながりを意識しなかったんですよ。湖西は琵琶湖と暮らしが境目なくつながっているところが、魅力だと思いますね。

△ 駒井さんが漁に出るエリアから見た、湖西の山々

琵琶湖を「体験」できる機会と拠点を増やしていきたい

── 3年間の研修を経て独立したとのことですが、今はどのような生活スタイルなのでしょうか?

毎年12月から漁が解禁されていて、港のルールに合わせた時間に出港しています。僕と同じ「えり漁」をしている他の漁師さんは、ご家族と一緒に2人や3人で漁に出ることが多いのですが、僕はひとりで漁をしていて時間がかかるので、朝3時には海に出ることもありますね。

朝のうちに漁を終えたら、昼食を食べた後は漁以外の仕事をしています。研修期間中は、琵琶湖の川上の現場を学べる工務店での現場作業や、農林水産業に関する研究・コンサルティングのサポートをしている会社で、滋賀の魅力を俯瞰的に見られるように事務作業をしたり、農林水産業の現地調査にも同行させていただいたりしました。

現在は漁師として独立し、経済基盤ができたため、魚の付加価値を上げることに時間を費やせるようになってきたんです。特別に手を加えた未利用魚を飲食店に卸したり、加工をしてインターネットで個人のお客さまに直接届けたりと、さまざまな方のお力をお借りしながら試行錯誤しています。

── 今後、漁師としてやっていきたいことはありますか?

より多くの人が琵琶湖を体験できるように、漁業体験を提供したいです。琵琶湖を眺めるのは好きだけれど、湖上を体験したことがない人が多いと思うんですよ。琵琶湖で過ごす時間を一緒に体験して、楽しんでもらえたらと思います。漁をして獲れた魚をすぐに味わえるように、拠点を持てたらいいですね。そのときに、これまで勉強してきた建築の知見も活かせたらいいなと思っています。

そして、琵琶湖での漁業を儲かる産業にしていくことにチャレンジしたいです。漁師さんにヒアリングをすると、「儲からないから仕事にならない」という声が多かったんですよ。まずは琵琶湖の魚と滋賀のお茶やお酒とセットで販売できるように、組み合わせを試行錯誤しています。琵琶湖の漁師をする仲間が増えたらいいなと思うので、若手が入りやすい環境をつくっていきたいですね。

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  • 文 :
  • 菊池 百合子
  • 写真 : 山崎純敬
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