「わら」でできた家を知っていますか?
おとぎ話『三匹の子豚』では、狼にあっという間に吹き飛ばされてしまう「わらの家」ですが、現代には土蔵のように断熱性に優れ、長く心地よく過ごせるわらの家があります。
自然素材だけでつくられたわらの家は、「ストローベイル・ハウス」とも呼ばれ、夏は涼しく冬は温かいだけでなく、人間の健康にも環境にも良いことが特徴。近年では海外で注目を集めているそうです。
そんな「わらの家」、日本では建築家の大岩剛一さんが設計を手がけてきました。そのうちの1軒で暮らす大岩さんに、東京から滋賀に移り住んで5年目、わらの家とともに過ごす毎日についてお話を聞きました。
人生の最後に住みたい場所として、湖西を選んだ
── 大岩さんはどんなきっかけで滋賀に移り住んだのでしょうか。
私はもともと東京生まれ、東京育ちで、練馬や杉並で多くの時間を過ごしてきました。20年ほど前に夫が滋賀県で仕事をいただきまして、私は東京で親の介護と会社の事業があって動けなかったので、夫は単身赴任することになったんです。
それで15年ほど勤めた夫が東京に戻ってきたら、「東京に住むのは嫌だ」と言うようになってしまって(笑)。山科にずっといたので、湖西が好きになったんでしょうね。私もちょうど親を送って、会社を退こうと思っていたので、それなら夫婦で東京を出ようという話になったんです。
── 大岩さんにとって慣れ親しんだ東京を離れたいと思ったのは、なぜだったのでしょう?
そうですねえ、私が好きだったかつての東京の面影がなくなってきたからですかね。どんどん人が増えて自然が遠くなってしまって。
あとはちょうど東京にいなければならない理由がなくなりましたから、どこか違うところに行きたかったのかもしれません。夫は単身赴任していましたし、息子も娘もあちこち行ったり来たりしていたから、「いいなあ、私も動きたいな」ってね(笑)。
娘夫婦なんて「東京に住みたくない」と言って、スノーボードが大好きなカップルだから雪山に近い仙台に行っちゃったんですよ。私はその身軽さに衝撃を受けて、夫と「うらやましいよね」って話していたんです。でも夫が東京に戻ってきたころにふと考えてみたら、「私たち、そういう身軽な状態になったんじゃない?」と。そこから夫と一緒に、どこに移り住むかを探し始めたんです。
△ わらの家には、土壁の向こうに詰まっているわらが見える仕掛けが隠されている
── 東京を出ようと決めた結果、どのような経緯で滋賀を選ばれたのですか?
私は東京から出られればどこでもよかったんですけれど、夫が「東京の郊外とあまり変わらないところでは意味がない」と。あとは彼は建築家ですから、「近年手がけてきたわらの家に、自分で住みたい」とも言っていましたね
日本全国さまざまな場所を見るなかで、途中から夫の土地勘がある滋賀県を探し始めて、和邇から少しずつ北上して探したんです。それで不動産屋さんにいくつか連れて行ってもらったなかで、「ここはおすすめじゃないですよ」と紹介されたのがこの場所でした。
── 「おすすめじゃない」と言われても、ここに住もうと決めたんですね。
ここは長く放置された土地だったみたいで石ころだらけだったんですけれど、ここに来たら2人ともいっぺんにここが気に入ってしまったんです。
琵琶湖が見えるし山も見えるし、2階からは琵琶湖の反対側に伊吹山も見えるんですよ。近くにある竹やぶも気に入ってしまって、2人にとっての終の住処として最高の場所だと思ったんです。本当にここだけがぽっと空いていて、呼ばれるようにやってきましたね。
△ わらの家は、壁が分厚いことが特徴
「わらの家」をきっかけに、人と出会い、人と関わる
── 「わらの家」を建てるときは、自分たちで家をつくる工程に関わるのだと聞きました。
そうなんです。夫はこれまでわらの家を何軒も手がけてきましたが、いつもワークショップをしています。「自分たちが関わることで、自分たちの家だと思えるのだ」と言ってね。それで私たちの家を建てるときもワークショップをしたら、3日間でなんと100人以上来てくださったんですよ。
ほんの一部の人にしか発信しなかったのに、遠い人だと東京からも来てくれて。みんなで土を足でこねたり、土の塊をわらの壁に投げつけたり、大人もすごく楽しそうに参加してくれました。
そうやってみんなでつくったからか、参加してくれた方々にとってこの家が他人事じゃないみたいで、今でもワークショップに参加してくれた方が遊びに来てくれるんですよ。わらの家がそういうつながりを呼んでくれることが、すごく嬉しいんです。
△ ワークショップ当時の写真
── わらの家を通じて、人とつながれるんですね。
ええ。夫と話しているのは、年齢を重ねると家から積極的に出ていくことが難しくなりますから、みんなに来てもらいましょう、と。会いたい人を呼んで、ご近所の方にも「こんな人が来るから遊びに来てちょうだい」と声をかけてね。いろいろな人と交わって発信できる家にしたいと思うんです。
今では先生とお隣さんを呼んでおうちヨガをやってもらったり、あとはご近所にもすごく恵まれていて、雑草刈りを手伝ってくださったりすることもあるんです。車を持っていないのが珍しいみたいで、「え、車ないの!?」とみなさん助けてくださいます。
── 移り住んだ土地で、このエリアの方と一緒に生きていくことを大切にされているんですね。
そうなんです。ちょうどこのエリアの方がよく通る場所に家がありますし、引っ越してきてから知ったんですけれど、このエリアは出身者と移住者がうまく交わっている地域のようなんです。
ここでずっと住んでいる方も最初は「東京者が来たけれど、どこまで入っていいんだろう」と遠慮されたのでしょうが、こちらも早くこの土地に馴染みたいと思う気持ちでいましたらどんどん来てくださいました。おかげでスムーズに馴染めましたし、私もみなさんがいっぱい遊びに来てくれて嬉しく思っています。
△ 比良山を中心に、湖西エリアで産出されると有名な「守山石」。大岩さんの家にも使われている
同じ地域を愛する者として、未来にバトンを受け継ぐために
── このエリアに来てから、新しく始められたことはありますか?
ここが好きで住んでいる者として、地域に関わるようになりました。この地区には自主防災会があるので私も参加したり、あとは最近だとこの地域の人たちで「里山の会」を始めたりしました。
里山の会では、みんなで民具や伝承を研究したり古い道具を再現したり、古老のお話を聞いたり古民家でおくどさんを使ってみたりね。ここに住んでいる人からしたら当たり前のことでも、私たちからしたらおもしろい発見がたくさんあるんですよ。
最近だと古老の方がこの家に来てよく昔の話をしてくださるので、テープで録音させてもらって、私は文字におこすのをお手伝いしています。残しておかないといけないなと思って。だって、すっごくおもしろいお話をたくさんご存知なんですよ。「こちらから飛び込んでいけば、みなさんどんどん話してくれます。
△ 「人が集まる場所に」との思いでつくられたリビングには、さまざまなお客さんがやってくる
── 地域で活動されている大岩さんの原動力は、どこにあるのでしょうか?
この地域で受け継がれてきた生き方を、ここで生まれ育った子どもたちに伝えていきたいからです。そのために、長くこのエリアに住まれていた方と移住してきた私たちが一緒になって「どうやって受け継いでいくか」を考えています。どちらもここが大好きで住んでいるんですから、両者をつなげていきたいですね。
── お話をうかがっていると、大岩さんの毎日がすごく充実されていることが伝わってきます。
そうなんです、やることがたくさんあるんですよ。東京の友人たちも「絶対すぐに帰ってくるよね」なんて送り出してくれたんですけれどね(笑)。隠居生活でしょぼんとしているんじゃないか、と知人が電話をくれることもあるんですけど、みんながびっくりするくらいに、私はここで元気に過ごしています。
でも、60代になって新しい場所に来て、新しい人と関われるなんて思ってもみませんでした。これからも大好きな自然のなかでやりたいことをやって会いたい人に会い、正直に生きていきたいと思います。